善処しているとき、人は運を見誤る

 対人ゲームにとって、運と実力のバランスは重要だ。完全な実力勝負では、勝敗が事前に分かってしまってつまらないし、完全な運勝負も面白くない。肝心なのは、一見すると実力勝負に見えるのに、実は運が大きいというバランスに仕上げることだ。

 例えば麻雀というゲームがある。麻雀では牌を得る度に不要な牌を捨てる。自分にとってベストな判断を繰り返す。すると、ゲームに勝利したとき、自分の判断が正しかったような気がする。実際には配牌も多分に勝敗を決するにもかかわらず、だ。

 ドミニオンというゲームも人に善処することを強いる。このゲームでは、毎ターンプレイヤーに回ってきたカードを如何に活用するか、どのカードを購入するか、常に頭を悩まされる。結果的に、自分だけが善処している気分になる。つい、他のプレイヤーも善処していることを忘れてしまう。他のプレイヤーの判断力と自分の判断力の差よりも、運の割合が大きいことに気付かない。

 クク21も善処し続けるゲームだ。パズドラも、これは対人ゲームではないが、常に善処させられている感触がある。