洗練されたゲームプレイヤーの動きは美しい
ゲームプレイというのはある種の最適化問題だから、最初は様々な行動を試していたプレイヤーも、慣れてくると自然にパターン化されたいくつかの動きに収束していく。
そのとき、ゲームに「飽き」が生じ始める。
パターン化されたゲームはつまらない。それはゲームではなく作業である。プレイヤーは選択肢と、結果に対する適度なランダム性を欲している。それに応えられないゲームはクソゲーだ。
だが、本当にそうだろうか?
この問題に対する反例として、僕は「NiGHTS into dreams...」を紹介したい。
NiGHTSは空を飛ぶキャラクターを操作し、空中に浮いたリングをくぐるゲームだ。こう説明すると簡単なように思えるが、敏感なアナログスティックによる操作で、正確な方向動かすのはなかなか難しい。このゲームのポイントは、1秒以内に連続してリングをくぐると得点がアップするということだ。
リングをくぐると楽器のような効果音が鳴る。続けていくつものリングをくぐっていくと、効果音の音程が変化し、まるで音楽を奏でるかのように音がつながっていく。このため、NiGHTSでは「ハイスコアを目指す」ということと「美しく飛ぶ」ということが、まさしく直結しているかのように感じられる。
リングの配置はあらかじめ決まっており、その配置もほぼ一本道なので、そこには選択もランダム性もほとんどない。にもかかわらず、プレイヤーが飽きなくゲームを遊び続けられるのは、この「美しく飛ぶ」というある種の演技に官能性を感じている、という部分が大きい。
スコア、演出、ゲームデザインといったあらゆる要素が一体となって、プレイヤーに美しい演技を強いている。このとき、僕は感じる。たとえこのゲームに、究極的には一つの最適解が存在するとしても、その最適解を演じる者に僕はなりたい。
パターン化されたゲームが面白くない、と感じるのなら、もしかすると、そのゲームには美しさが足りないのかもしれない。