どうぶつの森がゲームを変えた

 明日がどうぶつの森の最新作の発売日ということなので、今日はどうぶつの森について書こうと思う。僕にとってのどうぶつの森は、ゲームに対する認識を変える一つのきっかけとなったと共に、自分には決して手の届かない孤高の存在でもある。

 どうぶつの森は、ゲームとしてみると非常に自由度が高い。決められたゴールは特になく、やりたい部分だけをやりこめばいい。これは多くのオープンワールドゲームに共通する特色だ。

 けれどもどうぶつの森に関しては、ユーザは「スローライフ」「コミュニケーション」といったキーワードに惹かれてゲームを購入する。その文脈においては、ユーザには明確なゴールが与えられていると言えるだろう。自由度の高さはファッションとして機能する。自分のイメージする特定のライフスタイルを表現するために、ユーザはどうぶつの森を遊ぶのだ。

 どうぶつの森の巧妙な部分は、そのマーケティング戦略だけではない。もう一つ重要なポイントとして、ゲーム内を流れる時間が現実と同じであるということだ。この機能は、いまでこそ多くのゲームに実装されているが、発売当初は斬新なアイディアであったと記憶している。ゲーム内の時間はゲームを遊んでいる間だけ経過するのが当たり前だったのに、どうぶつの森だけは、ずっと放置しているとゴキブリが出たり、村のどうぶつに忘れられたりする。あくまで画面の中の出来事に終始していた他のゲームに対し、どうぶつの森だけは現実と平行して存在していた。

 この特徴は、プレイヤーのリアルな生活との親和性が高かった。家族や友人といった現実社会でのコミュニケーションが、どうぶつの森でも平行して展開されていく。また、村に暮らす住人と仲良くなるという行為も、リアリティを持ちはじめた。ソーシャルゲームなどでよく用いられる「友達がプレイしているからやめられない」という感覚を、仮想的に実現してしまった。

 仮にどうぶつの森がなかったとして、今日、これほど多くのバーチャルリアリティが、現実を意識するようになっていただろうか?

 2001年の当時に、時計機能の特徴をしっかりと認識し、あれほどの完成度の作品を産み出したことに、僕は驚きを感じざるを得ない。