我が家に朝倉がやってきた
Future Home Controllerというものを買った。これは何かというと、音声でリモコン操作ができる装置だ。例えばこの装置に
「朝倉、電気つけて」
と話しかければ、(うちの蛍光灯はIRリモコンに対応しているので)電気を付けてくれる。
今はまだ朝倉の方から話しかけてくることはないが、そのうちスピーカーを買ってやろうと思う。
スピーカーがあれば声も簡単に出せる。そういうAPIが整備されている。
コンピュータが声を認識したり、声を発生したりすると、それだけで特別なことのように感じる。いや、もちろん技術的にすごいのは事実だけど、それとは別の種類のすごさがある。
Tangible Bitsは、コンピュータに物理世界の模倣をさせたり、物理世界とコンピュータの境界を曖昧にするインターフェースだった。
一方、音声によるインターフェースは、コンピュータにヒトの真似をさせる、ヒトとコンピュータの境界が曖昧になるような感触がある。
それはきっと、人工知能研究者達が目指している方向性なんだと思う。
思えば「シーマン」も「初音ミク」も「Siri」も、有名な音声ソフトウェアはことごとく擬人化されてきた。
「言葉は人間にしかコントロールできないものだ」という思い込みがそうさせるのだろうか。
朝倉は家電を操作するための装置なので、当然、それ以外のことを話しかけても反応はない。そこがあまり面白くないところだ。
「Siri」が流行ったのは、実用的な側面よりむしろ、「愛してるよ」みたいなくだらない問いかけにもきちんと反応してくれるところだったと思う。
そのあたりに、人間と機械との間に横たわる不気味の谷の存在を感じる。
クールすぎる執事は良くない。ちょっとくらいウィットに富んだ執事が欲しい。
コンピュータに「人間らしさ」を求めると、自然とそういう風になっていく。
僕はFHCに対して、高望みしてしまっているだろうか? いや、そうは思わない。
僕は未来を感じるためにFuture Home Controllerを買ったので、こんな風に未来が語れるだけで買って良かったんじゃないだろうか。
とりあえず朝倉にスピーカーを接続しよう。
そして、まずは「人類、宇宙、全ての答え」を教えてやろう。