みんなで操作できるということ

 時は21世紀。パーソナルコンピュータは十分に浸透し、人類は次なる進化の方向性としてユビキタスコンピュータを思い描いている。けれども、パーソナルからユビキタスへの間には、価格的な面でまだまだ越えなければならない壁が多い。その橋渡しとなる段階として、目的別コンピューティングの時代が到来する。

 例えば、車に搭載されたコンピュータはテレビやステレオ、カーナビなどを搭載して高機能化の兆しを見せている。リビングのAV機器はスマートテレビに集約されるのか、はたまた別のエコシステムが形成されるのか、模索している段階だ。このように、僕たちの身の回りには、今まででいうパソコン相当の機械があふれ始めている。

 ここに来て初めて、コンピュータはパーソナルである必然性を失った。「パーソナルコンピュータ」としての役割はスマホやPCに任せて、車やテレビは「みんなのコンピュータ」になれるのではないかという発想が生じた。例えば、従来のテレビではリモコンを持った人が最終的な決定権を握っていたけれど、新時代のテレビでは調整役はコンピュータにまかせればいい。家族全員が操作できる。

 もう少し具体的なことを話す。みんなで操作できるというアイディアを実現した例として「お絵かきチャット」がある。Wiiの「みんなで投票チャンネル」もいい実例だ。GitやSVNもみんなで操作できる。Webアプリケーションも、広い意味ではみんなで操作できる。

 こうしたアプリケーションによって、人間の活動は本質的に変わる。人と人とのコラボレーションのあり方が変わる。今、一部の人たちが頑張っているデザイン思考やファシリテーションといったものが、日常生活に組み込まれる。リアルのコミュニケーションの限界を超えて、今までにない速度で動き出す。