インターフェースがコンテンツの邪魔になるという思想について

 僕はiOS7のデザインには否定的です。理由はいくつかありますが、一番の欠点はアフォーダンスが弱い、操作が直感的にわからないということだと考えています。

 一方でポジティブな評価があることも知っています。フラットデザインを好む人たちは、インターフェースの装飾を控えればコンテンツに集中できると言っています。

 果たして本当にそうなんでしょうか?

 確かに、電子書籍を読むときに常にツールバーが表示されていたら邪魔です。でも、メールを読むときやTwitterを見るときには、返信ボタンやRTボタンがないと困ることが容易に想像できます。

 思うに、今、僕たちがiPhoneを通して見るほとんどのコンテンツは、なんらかのインタラクションを伴っているんじゃないでしょうか? 例えばウェブ、ゲーム、FacebookiTunes、これらは全てユーザからの入力を前提にしています。考えてみれば当然、インタラクションこそがアプリを作る動機そのものだからです。

 そこで、インターフェースもコンテンツの一部であって、両者を分けるべきではないという仮説が成り立ちます。

 例えばiOS7では、背景は彩度の低い色にして、ボタンは彩度の高い文字やアイコンにするというのが基本原則だそうです。色つきの文字なんてものは、コンテンツとして普通にあるものだと思うけれど、どうやって本物のボタンと区別をつけるんでしょうか? 結局、今までと同じように、ボタンには縁取りしたりドロップシャドウを付ける。そういうデザインになってしまうのではないでしょうか。

 つまり、「スキューモフィズムは古い」とか言う以前に、インターフェースとコンテンツを分けるという発想自体が古くなってきてるんじゃないかと思うのです。